『戦場の素顔 大陸戦線徒歩三万粁』


NHKの『中国戦線 大陸縦断 悲劇の反転作戦 〜福島県・若松歩兵第65連隊〜』を見た。西沢曹長の記録と概略もそう違いなく、マイルドな仕上がりだったように思う。CGにはもう少し詳細な情報を載せてくれると有り難かったが、それはさて置き、番組で先ず印象的だったのは、難民の姿であった。
西沢は、独山作戦時の難民の姿を書き留めている。

難民は道に溢れ、寒さは次第に厳しく、寒さを凌ぐ為に、兵隊達は難民から衣類を剥がして、頭から被ったりした。

独山は兵器工場など各種工場が幾つも在り、兵達は中国の兵器の豊富さにがっかりしつつも、徴発を堪能した。進出が早過ぎ、一旦反転命令が出たので、工兵隊はこれら施設を爆破する。

暗くなった夜道が見える程、真赤に空を染めた。避民達は情報を知らないまま、多数巻き添えを喰らった。

また、情報戦・遊撃戦には非常に気を使い、中国人の密偵も養成している。

そんな或る日、ショッキングな事件が起きた。放しておいた密偵二人が、全身蜂の巣の様に射たれて高い木からぶら下げられていた。良く働く密偵であった。此所ではこの二人の他、現地で見つけた六人の密偵を使用していたが、現地密偵は二股で、両方に情報を売っている類であった。従ってこの二人が殺された事で、湖家場での情報収集を止めることになった。

桂林においては、情報戦も行き過ぎるきらいがあったようで、食糧逼迫時には苦力の整理が行われた。各小隊から集めた苦力65名のうち、能力有る者15人、姑娘6人が残された他は大隊本部に送られた。

後日此の苦力達は宜山に送られて師団司令部の陣地造りに使われて、其の後処分された、と噂が流れたが真相は知るよしも無かった。

姑娘は中隊に残されたが、他の中隊では処分をしたと伝えられて来た。第九中隊では、姑娘を連れ歩いた伍長が数人の姑娘を射殺して埋めたと尤もらしく其の状況が伝わって来た。

警備隊の情報が流れるのを恐れたからで、当然の処置かもしれなかったと、正当化をしていた。戦争はそんな理論も成り立つのだった。

三日後、姑娘を大隊本部に護送せよと命じられたが、情報漏洩を防ぐ為の処分という噂を聞いた彼は、あまりに憐れと思い姑娘を逃す。発砲など偽装も行って、なんとか中隊長に報告した。その場は一応事無きを得たが、後に一人の姑娘が東江付近で警備隊に捉えられて銃殺された。逃した責任上、銃殺に立ち会わされることになってしまった。

戦場では情けを掛けてはならない。下手な情けは自分達の身を危うくする。これで良かったと思いながらも、暗い寝台の上で目が冴えていた。

食糧・衣料だけではなく、苦力・姑娘も徴発であった。特に朱渓廠の戦闘後の補充兵は古参兵が多く、戦の感が良いことから第二小隊の名を大いに揚げてくれたが、「酒好き、徴発好きで陰では強姦も好き」だったと語る。迷水河支流の渡河作戦後、徴発に行った時には、数十人の難民から男達を苦力として引き立てた。家族の老婆や女達は殴る蹴るで引き離した。さらに中程に二十才前後の姑娘が何人かいたので心配していたら、案の定、中年上等兵が連れて行こうと持ちかけた。日頃、中年兵の強姦に憤っていた彼は叱りつけたが、一触即発の状態となり、これでは大人気無いと思ったのでその場を収めた。

「相沢上等兵、俺も言い過ぎたが、今日は止せ。強姦は俺の居ない所でするんだね」
相沢上等兵も不服であった様だが、諦めると根が楽天家らしく、
「軍曹は若いな。どうせ何処かの兵隊に強姦されるよ。あんな手頃の姑娘を見過ごすのは、残念だが仕方ないさ」

一方、第三大隊長として着任して来た人見永寿少佐は敬服している。

人見少佐は自らも言っていたが、陸士恩賜*1ながら、秩父宮の御付武官をしていた頃財界人が支那事変解決のため宮を奉じて香港の胡文虎を仲介とする、中支和平運動を推進していた。
人見少佐は成りゆき上その世話をすることになり、時の陸軍大臣東條大将に睨まれ、第一線大隊長に追放された。豪放で良く酒も飲んだが、有能な大隊長として尊敬すべき人物であった。

此の後、曹長が独立歩兵第五百二十二大隊に新編され、遊撃隊のように投入されたのは沖縄戦が始まった頃であった。

*1:瀬島龍三の一期上の陸士43期恩賜。