糸川英夫 私と戦闘機「キ-44」
部屋の掃除をしたら出てきたVHS。
Wikiを書く陸軍戦闘機ファンや糸川ファンならご存知のことと思うが、原題は勿論、
『糸川英夫 私と戦闘機「隼」―太平洋戦争の陸軍戦闘機を検証する―』文藝春秋
である。
だが、その内容たるやタイトルとかけ離れること著しく、キ-44を嬉々として語る糸川の姿が強烈に印象に残る作品だ。糸川ならずとも少々齧った者なら、零戦やキ-43なんぞを「システム工学」の産物と誉めそやすよりも、キ-44の方を語りたくなるのではなかろうか。初期の零戦を見ると、当時でもA7000系のS-Nカーブくらい分かってたろうに、何であの様なアームにまでバカ穴を開けたのかとか、海軍省の材料変更指導自体は間違ってないよなぁ、などと疑問ばかりで苛立ってくる。
零戦パイロットの息子である師に話すと怒りを買いそうなので言っていないが、こう悪口を零してしまうのも、知り合いに中島系の人が少々居たからかも知れない(笑)同期の一人などは祖父・父とも中島の人間であり、彼自身も危うく(?)三代目となるところだった。理系*1も存外世襲が居るものである。
そういえば、パイロットの師に敬礼した際、海軍式か陸軍式か統一せよと注意を受けたことが懐かしい…。
中島系の人たちは、土地柄口下手が多い上、戦後多くが黙した*2ことも相まってあまり表に出ないが、ノモンハンの敗北における辛い戦訓を早めに取り入れた柔軟性と乗員の命を軽視しない思想は、よくメディアに出て技術屋の責任を回避されていた方々のそれに比して、少しはマシだったと思う。
そして、人事ではないが、回避者たちを礼賛するばかりか、酷い再現実験を提供する理系大学人たちは、多少なりとも責任を自覚した方が良いのではないだろうかと思った次第である。
普天間報道雑感
普天間の町並みを視る機会が多くなった今日この頃、ふと宜野湾に住んでいた旧友を思い出した。
小中の頃から既に、『サンクチュアリ』(池上遼一)の中城規介と瓜二つな風貌を持つ奴だった(笑)*1
彼の親父さんは宮古出身の教員だったのだが、彼も色が白かった。白川氏系の知人(生まれも育ちも沖縄島)も似た白さだったので、彼も白川氏系だったのではないだろうか。今思えば、小学校時の友人は生粋の地元出身者が少ない。片親がヤマトンチュやアメリカーであったり、それも母子家庭が多かったりした。あとは宮古系か本部商人の子か、である。兄の友人には大島系の人が居たように思う。自分の両親とも市内出身だが少々離れた字であり、保育園の時までそこで育ったせいかも知れない。旧基地街中心部(飲食店街)というわけではなかったが、それなりに荒れたシマであった。
上級生の不良グループによる集団リンチも在り、自分は一時期彼らに追われつつも逃げおおせたが、親の生まれた字出身の従兄弟は自分の字に遊びに来た時、不良グループとぶつかっただけでリンチに遭い、意識不明で病院に担ぎ込まれた。最近、具志川集団暴行事件がよく取り沙汰されているが、当時、メディア報道は皆無だった。不良グループを仕切っていたのが(名前を聞く限り)他シマ系で、警官の子弟だったためではないかと聞いている(無論、字出身者も居た)。地元の少年犯罪に関しては、恵隆之介が悪口雑言を並べたくなるのも分かる。
空軍所属だった伯父などはマリーンコー(海兵隊)を侮蔑しており、それが我々の階層意識にも影響を与えていたのか、「マリーンは戦争が起きたら真っ先に前線へ上陸させられる鉄砲玉」などと低く見る傾向があったが、我々のシマも偉そうなことは言えまい。特に復帰によってお膝元の経済を壊滅せしめ、荒廃するがままにさせた喜屋武真栄大先生には黄泉路からでもそんなことは言って欲しくないものだ…。
革新は泡瀬問題で経済的合理性を争点としてきたが、彼らの返還後プランも又かなりの机上の空論が多い。例えば、東門は池原(現在は射撃場)が米軍から陸自の手になった時、アグリビジネスベースのペーパープランを持ち出して全面返還を要求しようとしたが、地権者の失笑を通り越した怒りを買っていた。米軍ならいざ知らず、あれ程丁寧に使用する自衛隊にすら反対するのか!!という思いだったろう。泡瀬にしても一見、今でこそ推進しているかのような態を見せているが、初期には計画見直しという決定を下した上に不作為を働き、これが裁判において敗訴する決定的要因となった。まさに「トロイの木馬」状態だが、一般に自治体首長が土地の返還を要求する際には決まって、「地主が望んでおり…」といった文言になる。
地権者は望んでいないのに、である。
地主とて基地街に住み、事件事故を受けてきたのは同じであり、絶対多数が望んでいるなら返還も受け容れる覚悟はあるが、自治体は跡地整備費用(インフラ費用)すら押し付けて来るのである。「地主が望んだこと」だからとして。
基地街として死に絶えて久しい普天間の場合は、交通の要衝であり、辛うじて地代を上回る雇用なり税収を上げられる可能性はあるが、それとて自分は懐疑的である。地主は特にそうだが、周辺自治体も中長期的に収入減であろう。北谷が返還となって沖縄市が死んだように。天久(おもろまち)の成功例がよく引き合いに出されるが、ただですら貯蓄率低く消費で回している状況下商業施設は飽和状態であり、普天間を第二のおもろまちとすれば、今ですら一貫性の無いおもろまちが死ぬだけだろう。尤も、おもろまちから機能が移転することなど考えに難いから、普天間は手頃なベッドタウンとして浦添のようにスプロール化することになる可能性も高いと思う。都市計画の専門家にそこは伺いたいところだが、県にせよURにせよ、計画過程を垣間見た者としてとてもではないが……。
返還跡地を持つ中小規模地主の一見解として、普天間の人たちの一助になればと思う。
インフラ整備を渋る自治体は、地主をスケープゴートにしてくるもので、革新系の場合は特にそうである。はてな界隈でも、実態を誇張して叩かれているなと思うが、地元でこの手の叩きには慣れきっている。
中高の頃であるが、自分が地主の子であると知った教員(勿論左派系)からは猛然と返還の覚悟を迫られた。自分の学生時代には、自衛官の子女に対する(友人に2人ほど居た)嫌がらせは一切見なかったが、地主に対する沖教組教員の説教ぶりから察するに、復帰直後の話しは事実だったのだろうなと思った。
そして、毎度不思議だったのが、説教を垂れるのは決まって、基地など体感していない那覇・首里・宮古・石垣の教員だった。大田昌秀も『世界』で述べているように、離島民など机上でしか基地を知らない人間が運動に熱心だったのである。
そういえば、下地島が候補として挙がっているようだが、嘉手納統合を唱える宮古の利権政治家が誘致したのだろうか。嘉手納統合を唱える連中には、抗甚性の低下や海兵隊の回転翼機が増え管制が複雑化することによる問題など防衛力の低下は眼中に無く、嘉手納基地周辺住民の生命も政治道具にしか映っていまい。宮古の政治家は利権、革新連中は運動成果の獲得と米軍機能の低下だけを目的としているようにしか思われない。本当に国とチキンレースをやりたがっているのは左派系だけで、宮古利権屋は適当なところで逃げるだろうが、ここまで中部民の命を道具にしたのなら、最期までやり抜いて欲しいものだ。人柱を買って出ると宣う人間も居るが、そんな奴など最早居るものか。高良倉吉が言う如く、失笑されて終わるだけである。
運動など、上原安隆の死で終わったのだ。
*1:リャンキナーとは比較にならないほど特徴を捉えている(笑)流石は池上先生!
泡瀬「沖合い」埋め立て“中断”に反対します
沖縄市を創った巨星、中村哲二郎元美里村長が、9月11日に亡くなられました。
大山朝常に続いて巨頭を失い、郷里の寂寥感は計り知れません。
四十九日も終わらない最中ではありますが、彼らの夢を虚しくする報に接し、ご遺志を継げなかったことを悔いて落涙するばかりです。私は泡瀬人(アーシンチュ)ではありませんが、美里を対等に尊重した朝常と彼らの苦難を想い、埋立中断に反対します。
小橋川家にも、推進派の方にも同級生なり知人なりが居りますが、どちらが信用に足るかはそれなりに承知しているつもりです。そして、マスコミにも出るような陸域の運動家たちに、郷里に以前からあった泡瀬人への蔑視感が色濃く残っていることを知り、残念に思うと同時にこれ以上広めないで欲しいと願っています。
埋立反対の運動家たちは、泡瀬人に対する蔑称「アーサー」を意識させるように青藻(アーサ)をわざわざ「アーサー」と呼んでいます。
更に、これを事情を知らない本土に浸透させ、本土側から正当化の包囲網を敷くため、
「美味しんぼ」でも青藻(アーサ)を「アーサー」と紹介していますね。
これを見聞きする泡瀬人たちが、どれだけ胸を病む思いをするか計算した上で、陰険姑息にも広めているのです。
本土で苦瓜を「ゴーヤー」ではなく「ゴーヤ」と短くしたり、本土人の空港職員を前に「ジーマーミー豆腐」を注文すると「ジーマミ豆腐」ですね、と説教を垂れられたりするのとは次元が違います。
真っ当な人と見ない蔑称です。
埋立反対の運動家の皆さん、そして雁屋哲・花咲アキラさん、
これは差別です。
地元マスコミに居る同期よ、君が革新寄りなのは知っているが、郷里の者へのこのような仕打ち、リンチに何故抗さないのですか?
君達は一生食べて行くのには事欠かないはずです。
革新の方々、地元の労働者たちが幾人も犠牲になるのを知りながら、己のイデオロギーのため人柱を差し出すかの如き行為をするだけでなく、何故このような卑劣な呼称まで許すのですか?革新陣営は差別主義者の吹き溜まりですか?
そして前原沖縄相、防衛に理解ある者たちの根を刈り取って功績でしょうか?
「中止」ではなく「中断」と示したその意向は評価しないでもないですが、辛うじて話し合いの出来る彼らを追いやった未来がどうなるか、容易に想像できることと思います。
或る農村の風景 ―沖縄タイムス[大弦小弦]―
内外の文人どもは何を見ていたのかと思うことが多い。
したり顔でオキナワの日常を語る内地人も然りで、読むと失笑するものばかりである。
今日のタイムスはあまりに酷いので記録しておく。
少年犯罪が急増の次は、DVが急増と煽りたいのだろうか。
[大弦小弦]
「日本は子供にとって天国だ」。明治初期に来日した米国の動物学者、エドワード・モースは、見聞記にこう記している▼そしてこう続く。「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」「ニコニコしているところから判断すると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」と▼幕末から明治初期に日本を旅した欧米人はみな、日本人が子供を大事にする姿に驚いたと、「江戸の子育て」(中江和恵著、文春新書)にある。青い目に映った日本の子供たちは、さぞや生き生きとしていたのだろう▼もはや、そんな日本観は遠い昔の話なのか。那覇地裁であった虐待事件の初公判の記事(3日朝刊)を読みながら思う。被告の男が、同居していた女性の長男(7歳)に暴行を加え、傷害罪に問われた事件である▼男は男児の顔面を殴り、泣きやまない男児の口にたばこの火を押し付け、舌などに火傷(やけど)を負わせたという。男は反省の言葉を口にしたというが、男児が受けた心の傷は一生消えることはない▼こうして事件化する虐待事案は、氷山の一角との指摘がある。今もどこかで悲痛な叫びをあげている子供たちがいるはずで、大人は、声なき「SOS」に深い注意を払いたい。一人でも多くの子にニコニコ顔が戻るためにも…。(稲嶺幸弘)
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-09-10-M_1-001-1_003.html
>もはや、そんな日本観は遠い昔の話なのか。
知ってて惚けておられるのだろうが、
遠い昔がどうであったか丸木政臣のおいたちでも熟読されよ。
思い出すのは馬を引いているか、鍬を握っているかする姿ばかりである。そういえば子どもたちを怒(ど)なりつけるときも、正面からということはなく働く手を休めもしないで「お前聞いているのか」と横顔で言ったものである。こんな具合だから、私たち兄弟ももの心つく頃には、労働力の一員としてこきつかわれた。掃除、洗濯、台所仕事などから、畑仕事、牛馬の世話、鶏の管理、商売の手伝いなどいまからすると子どもには無理と思われるようなことまでやらされた。一家総出で働いても貧しかったのだから、親にしてみれば子どもの教育のことなどかえりみる余裕など全くなかった。
http://www.izumito.com/sk/li_maruki0204.html
小学3年生のときのこと。朝の仕事を終えて「学校に行かんとおそうなる、朝飯はいいから学校に行くよ」と母親に、それも小声で言ったのを井戸端で聞きつけた父親が「お前学校なんぞ行って、朝から遊ぶんか」と大声を上げたものである。父も母も子どもの学校について関心を示さなかったし、そんな余裕も持っていなかった。
沖縄でも、親世代以上の百姓の子は同じである。
子は牛馬に等しく労働力と見做されていたし、「学校なんぞに行って…」と怒号が飛んだ。
親や伯父伯母らは苗植えが悪ければオジイに殴られ、機嫌が悪いときに酒が入れば殴られた。それでも、孝經の「父雖不父子不可以不子」(父は父たらざるといえども、子は以て子たらずんばあるべからず)の概念が根強かったせいか、隷従することが多かった。不条理感ばかりであったが、もう慣れてしまって「心の傷」に感じなくなっていたという。近所にもこんな子らは沢山居たそうだが、「生き生きと」遊んでいた。無論、これを以って「心の傷」を否定しているわけではない。蓄積された歪みの発現は時として見られる。
また、もう片方のオバアも、女手一つで子を育ててきただけあってなかなか凄かった。自分は末の孫であったから免除された感があるが、上の兄弟は普通にヤキを入れられた(ヤーチューされた)。まぁ、時津風部屋よりは酷くなかったが(笑)
団塊〜50代以上となるとそれはそれで、本当にデモやってた革新なのか?というくらい男尊女卑の関白宣言野郎揃いだった。最近でこそ少し良くなったが(笑)
まったく、オジーオバーが持つ「沖縄の心」とやらを語ると、山城紀子が『世界』でブチまけたような感じになるなぁ。尤も、山城は現在の世代を醜く表現しているが、自分からすれば「貴方の世代に比べたら遥かにマシになりましたよね」と言いたくなる話しばかりだ。もう、稲嶺さんや山城さんには、管賀江留郎のサイトでも熟読して頂きたい。
そういえば、内地のとある地域で初期に沖縄料理を謳った店を出したのは奄美系の人だったが、この人も隷農の思考が染み付いているように見受けられた。業界が業界だけに人件費を抑えるのが手っ取り早いわけだが、あまりの搾取と精神的な追い込みのため、バイトは皆が皆恨みを残して去っていった。自分と同郷のウチナー嫁が幾度となく諫言したが、最後は追い込まれて辞めて行った。君君たらずと雖も、臣は十分、臣たりえたと思えた。
琉球列島の終戦記念日
勉強会で総合電機メーカーの役員だった方々と話しをする機会があった。
戦中生まれで、軍国少年だったのを窺わせるような威勢の良い方々であった。
酒が入って出身地の話しになった時、自分が沖縄出身であると知ったある方は、今度戦跡巡りをしようと思っている旨を語ってくれたのだが、思い返してみると一点気になることもあった。
それは、6月中には沖縄戦が終わっていると思われていたことである。
6月23日は確かに慰霊の日で休日だが、この後も戦闘は続いており、久米島に至っては6月26日に上陸戦が始まった。
自分の地元では、9月7日を終結記念日としていた。
この事については、川平成雄, 『沖縄戦終結はいつか』, 琉球大学經濟研究, 74 (2007) 1-21 に概説されているので、引用したいと思う。
9月7日、越来村森根(現在:米軍嘉手納基地内*1)において南西諸島の日本守備軍が米軍と降伏調印をおこなった。住民にとっての沖縄戦終結は、補われた日・収容された日であり、日本軍の降伏は、6月23日でもなく、8月15日でもなく、9月2日でもなく、9月7日である。
勿論、9月7日以前に牛島司令官は自決しているので、第32軍代表となったのは次の将官らであった。
奄美
独立混成第六四旅団長 高田利貞少将
沖縄方面根拠地隊 加藤唯雄少将
宮古
第二八師団長 納見敏郎中将
これに対し、米側からは第一〇軍司令官 ジョセフ・W・スティルウェル陸軍大将が署名した。証人は、レイモンド・スプルーアンス海軍大将、ドゥーリトル・H・ジェームス中将、ジェーシー・B・オルデンドルフ海軍大将、デビット・ペック海兵隊少将と有名処が揃っている*2。署名のスキャンは、沖縄県公文書館で見られる。

また、調印の様子は、http://www.history.navy.mil/photos/events/wwii-pac/japansur/js-10o.htmで確認できる。
9月7日にも異論を唱える者は居り、川平は渡久山朝章・太田良博・上原正稔を挙げているが、上原の「surrender」を「譲渡」と訳す強引さには、特に朱を入れている。
さらにいえば、この上原の解釈の仕方には、無理がある。なぜなら、45年8月25日外務省条約局第一課が作成した「Instrument of Surrenderを降伏文書卜訳シタル理由」の中に、「今回ノ如ク交戦国ノー切ノ軍隊ガ敵二降ル場合トハ異ルモ兵力ノー部ナリトモ全体ナリトモ敵二降ルコトノ事実二於テハ性質上何等異ル所ナキヲ以テ今回モ亦訳語トシテ降伏ノ文字ヲ用ヒタリ」*3、と明記していることから判断して、「Surrender」は、「譲渡」ではなく、「降伏」である。
以上、長々と書いてしまったが、自分は奄美から宮古・八重山まで、9月7日が正式な終結記念日と思っていた。宮古八重山の人からの意見は時折目にしていたが、奄美からは情報が入ってこなかった。奄美でもそうなのか、高校の恩師に聞いておくべきだったと今更ながら思う。
*1:基地内なので簡単には地図が表示されない。実地の様子はhttp://town.ti-da.net/e2736762.htmlを参照され度い。
*2:http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10817FD355C15738FDDA10894D1405B8588F1D3
SIDOOH ― 士道 ― に見る肌色の違い、国の違い
ヤングジャンプに連載中の士道。
会津と薩摩の野郎達が組んず解れつ殴り合って理解しあう様から、原哲夫的な作品なのかなぁ…というのが第一印象だった*1。同時に、西郷隆盛の傍に居るマイケル・ジャクソンみたいな野郎は誰だ?と気になった。
最初、リャンとか呼ばれているので中国系かと思っていたら、琉球野郎とか呼ばれているし、この前は琉球王族だという衝撃の真実を知った。
ちょっと待て、何で王族がリャンキナーなんて名前付けてるんだ?
久米系の梁(Liang2)氏にするとしてもマイケル・ジャクソンは無かろう。梁氏の友人が見ても憤慨するか、苦笑するに違いない。まぁヤマトゥの漫画家の琉球観なんてそんなモンだよな…と諦めつつ、中国っぽければそれでいいのか!?と一抹の寂しさも感じる。
うぅん、これは宜しくない。
よし、作者の高橋ツトムがあの頃の琉球をよく調べているとしよう。
モデルとなる人物は誰だろうか?
外交での活躍顕著、薩摩とのパイプも太く、浅黒い肌を持つ王孫*2
― 板良敷朝忠 ―
この人を措いてあるまい。
ただ、朝忠にしても西郷の為に働くとは到底思えない、という点を考慮すると選考を外れる*3。というのも、朝忠は恩河朝恒を見殺しにし小禄良忠*4への姦計を是認しようとも、薩摩に仕えることは潔しとせず、系祖の生まれ島近くで命を絶ったからである。
*2:向氏には色白が目立って多い。ヤマトンチュの平均よりも白い人も居るくらいである。朝忠はこの点でも異様だっただろう。ただ、後裔の人々を見るとそれ程でもないので、テイラーの伝える浅黒さがどれ程のものかは不明である。何れにせよ、琉球人の黒さであれば、マイケル・ジャクソンの黒さとは質感が異なる。
*3:さらに、西郷よりも10歳年上という点も考慮。
*4:馬氏も色白の方であるが、平均との中間色に近い人が多い印象。女性の色白幻想はあり、お嬢様方にとって日傘と日焼け止めは必需品である。ただ、内地の隊員に「沖縄の女性は色が黒い」と言われた桑江良逢は、「それは君、昼間の沖縄女性を見たのだろう。真夏の真昼間、街中を歩いている女性は、概ねその類の女性で、色が黒いのは当たり前だ。良家の子女は、真昼間はあまり外に出ないものだ」と答えている。翻って、男子が色白な場合は陰口の対象となる場合も多い。
8/13は沖国ヘリ墜落記念日
あれから5年が経つのか。
内地メディアやネットの黙殺・争点ずらし、市民系の「返還地耕してメシを食え」精神の鼓吹。この5年、毎年よくもまぁ議論の為の議論をするものだと思っていた。
事件の年は内地に居り、讀賣などを読んでいたので状況が全く分からなかったのだが、翌年地元に帰って沖国出身の方と話したことで少しだけ把握出来た。落下後に流れた風説も概ね分かり、相変わらず変な話しが多いなと思った。
大まかな流れは、プレスと同じであった。
Question: Thank you. Could you please explain a little bit more on what you mean by flammable materials on the site? Does that include depleted uranium? According to some Japanese press - they said that it might be transported on that plane. Thank you.
Official 1: That question has several parts. Yesterday, the US held a conference with the press, and at that time Lt. General Waskow addressed the depleted uranium and he denied that there were any depleted uranium rounds on that aircraft, and he also addressed contaminated soil. So, the answer doesn't change from what Lt. General Waskow had provided yesterday, but I would like to turn the second part of that question and that is the flammable materials, over to our mishap investigative expert.
http://tokyo.usembassy.gov/e/p/tp-20040827-61.html
Official 1: Regarding the first question, I will tell you that the investigators, the investigation should be able to determine what happened to that missing part. So, until that investigation is complete, I think it's premature to speculate what happened. With regards to your question on depleted uranium, that question was already addressed previously, and General Waskow responded to that yesterday at the Press Club. The final question had to do with resumption of flight, and I believe I already covered that in my opening statement.
自分もDUじゃないのかと言われ、何故CH-53DなぞにArmor Piercing用の弾を積まねばならないのか、積んでいたとしてDUの何が問題なのかと言った覚えがある。法文ならもっと主権問題にでも言及してくれよ、という苛立ちがあったとはいえ、今考えると碌な答え方をしてないなぁ…。まぁ、それはロジスティクスを知悉している尊敬すべき元プレス担当者を抱えながら、話しを逸らす方々も同じか。
事件は結局、Sr-90が行方不明になったということだった。(http://japan.usembassy.gov/e/p/tp-20040903-61.html)
米側の発表は、一貫して行方不明になったRIは微量としていると見え、このSrは今猶、No Radiation Found Yet at Crash Siteのままなのだろう。
http://www.military.com/NewContent/0,13190,SS_091504_Radiation,00.html
この経緯は、佐野眞一の著書では非常に分かり難い。ヘリ墜落事件は一頁程度で反米プロパガンダ臭が鼻につく。用語の不正確さは、二文であることを考えれば致し方無いか。
この事故では放射能漏れも起きている。事故現場に急行して沖縄県警の立ち入りを封鎖した米軍兵士のなかに黄色い防護服を着た兵士がいることから、ストロンチウム90が飛散した可能性のあることが発覚した。米軍の当初の発表では放射能は少ないとのことだったが、その後、一秒間に出す放射能量は劣化ウランの一億五千倍もあり、発ガン性もあるらしいことが判明した。これほどの重大事故だったにもかかわらず、沖縄県警は米軍に阻止され立ち入ることさえできなかった。(p.52)
どうも後味が悪いので、ちょっとネタを。
http://www.military.com/NewContent/0,13190,SS_091504_Radiation,00.html
で、CH-53D Sea Stallionをクリックすると…
http://tech.military.com/equipment/home.do?file=CH53D&cat=a&lev=2
不思議なことに、MH-60S Knighthawkが出現します!!
本物はこっち↓
http://tech.military.com/equipment/view/89718/ch-53d-sea-stallion.html