坂間勇先生一回忌


坂間先生が亡くなられていたことを最近知った。
http://k.hatena.ne.jp/keywordblog/坂間勇
http://www.onaneet.org/blog/2008/10/08/坂間勇/
先生の本には随分とお世話に…
否、あのぶっ飛びっぷりに泣かされたことが思い出される。
駿台物理といえば山本義隆なはずだが、坂間の物理に洗脳されてしまい、山本の方はあまり読まなくなっていた。どちらの流れも分かった方が良いと思いつつも、両対応出来るほどには頭が回らなかったためと思う。こんな自分にはきっと無理だろうが、生涯講師を続けて往生する人生もまた眩しい。
山本義隆のD時代は、我が師がよく覚えていた。師はやや理想主義的なところがあり、左翼の妻を持つある種の典型だが、根っからの研究者であるため、演説に煽られることもなく、黙々と研究していたらしい。自分の父親も、場所は違えど全く同じ様子であった。こういった素の様子が歴史として語られないのは、やはりインパクトに欠けるからか…。
坂間先生も戸山であるし、山本っぽくない気がするが、実際はどうだったのか気になるところである。

もう一つ、代々木の高宮「大佐殿」も6月30日に逝去されていた。
随分経つが、直立不動の姿勢で彼の訓示を聞いた時のことは忘れられない。
曰く、「同期は前線に送られて戦死していったが、私は優秀だったから最前線に行かずに済んで生き残れた。」というもので、一瞬目を剥かざるを得なかった。表情や雰囲気も、『カイジ』に出てくる兵藤を彷彿させた。今思えば、生き残るための図太さとはどういったものかを見た気がする。